「中立(ちゅうりつ)」という言葉は心地よいため、中立の立場であることを美徳とする人もいるようです。僕も耳障りの良いその言葉を魅力に感じます。
ただ、海外に出るとことあるごとにスタンスを求められます。
SSHPの研修生には、特に会議の場では中立になるなとアドバイスしています。本当は日常会話でもそうなのですが、今回は会議中に中立で居ることのリスクについて書きたいと思います。
会議での中立とは
会議における中立とは「自分が関わる事象に相反する意見が同時に存在し、且つその両方を同時に選択できない中で、いずれも選択しない」という存在です。逆に皆が同じ意見なら、中立という立場は存在しません。
これはいうなれば
「自分のチームが担当する商品の展開戦略で、A案(最初から全額課金する)とB案(最初は無料開放する)がある・・・そして私はどちらも選ばない!」
と言っているようなもので、支離滅裂です。
中立=無責任だと思われるリスク
まず迷惑がかかります。物事が先に進まないのです。決めることが目的の会議で、意見を出すことをためらっているわけなので。それに、チームから戦力にならないと思われます。I’m neutralと言った本人は免罪される気持ちになるのかもしれませんが、言われた人たちは内心irresponsibleと思われているでしょう。
仕事上の決断で「絶対正解」はありませんが、「考えず・決断せず」はきわめて不正解に近いです。(決断することについてのエントリーはこちら)
中立と混同されがちな言葉
中立と言いつつ実は「客観」を意味する人もいます。何となく似ているように思えるのかもしれませんが、性質が異なります。
先に説明したとおり、中立とはその状況にどっぷり浸かっている状況です。これに対して客観とは「離れた場所から(つまり客体として)状況を観ている」ことです。同じじゃないですよね?
本当の中立とは、とんでもない異端
中立といえばスイス連邦。皆が知っている永世中立国です。四方を囲まれているヨーロッパのど真ん中にあって「外国で戦争があっても誰の味方もしないよ」というサバサバ系に振り切った国です。
教育水準が高く、豊かな自然と長い歴史、世界企業と極上の乳製品、ヨーデルとハイジ・・・まぁとにかく豊かで平和なイメージがあります。2年前、1ヶ月ほど過ごしたときには物騒なことは一度もありませんでした。
ただ、街は軍服であふれていました。
スイスには、予備兵を合わせて20万人ほどの兵士がいます。日本の自衛隊は25万人で、総数では上回りますが、スイスの人口は800万人に満たないことを考えると、軍属率の高さが際立ちます。
この場で安保についてモノ申すつもりはありませんが、スイスは中立を貫くためにバリバリの軍事国家になることを選んでいます。
話を職場の環境に戻します。
「自分のチームが担当する商品の展開戦略で、A案(最初から全額課金する)とB案(最初は無料開放する)がある・・・そして私はどちらも選ばない!」
上記のニュートラルは役に立たないことは既に述べました。抜け出すには、AかBを選択するということになりますが、こんな考え方もあります。
「自分のチームが担当する商品の展開戦略で、A案(最初から全額課金する)とB案(最初は無料開放する)が存在している・・・私はどちらも選ばない・・・そしてC案(新たな案)を提案する!」
これをするには相当な覚悟と実力が必要です。そして、言った瞬間あなたは中立から離れ、持論を展開することになります。
いずれにしても、考えない頭、物を言わない口は必要とされません。リスクを恐れながらも、どんどんポジションをとって進みましょう。そのうちに勘所がわかってくるはずです!
全然関係ないけど、スイスには4つの公用語があります。首都チューリッヒではドイツ語が話されていますが、スイスジャーマンといって、本家ドイツ語とは結構違うようです。挨拶はグーテン・タークではなく「グリュッツィー」でした。西側のローザンヌに行くと「ボンジュール」になります。こういうのって、行って体感してこそ、残るんですよね〜。