SSHPの会期中。数ある僕の口癖の中でも「ゴメン、よくわかんない。もう一度説明して?」というのは研修生の記憶に残っているようです。トラウマになっている人もいるかもしれません。だったらごめんなさい。
それにしても、なぜ記憶に残るのかというと、日常的に耳にする、あるいは口にする機会が少ないそのセリフを每日のように突きつけられるからだと思います。
追求すること、されることに慣れていない。
この状態は少し危険だと感じます。特に海外で働きたい人は、考えを改めたほうがいいです。
自分が言ったことは、意外と理解されていない
研修生が質問しないからといって、僕の日本語をちゃんと理解しているというわけでもないのです。こんな場面がよくありました。
僕「日本でもアクセラレータ・プログラムがいくつも立ち上がってるけど。」
研修生「そうですね。」
僕「えっと、念のため。アクセラレータって知ってる?」
研修生「あ、いや・・・知らないです・・・」
会話の中身よりも、流れを重視する風潮
僕は国に関わらず空気を読むことは、ある程度必要だと思っています。
エントリ:インターンだって判断を迫られる:インターンシップブログ
これは「然るべきタイミングで主張するためにしっかり準備しておけ」というメッセージの裏返しです。しかしながら、研修生と話していると、ただ知っているテイで流されていると感じることが多い。
人付き合いにおいて、自分の理解よりも会話の流れを止めないことのほうが重要な環境に身を置いている、ということなのでしょうか。目立つことはリスクもあるので、流せるなら流したほうがいいという意識なのかもしれません。
知ったかぶりは、最終的に損失を生む
それに「大事なことかどうか分からないから聞きにくい」という人もいるでしょう。でも、そもそも知らないことは、聞いてみないと重要かどうかも判断できない。
上の会話の例では、簡単にアクセラレーターの説明をして、その後話は1時間ほど続きました。これを説明なしで続けていたとしたら、僕と研修生の1時間は無駄になったかもしれません(きっとそうなった)。ほんの数十秒を疎かにするだけで、残りが無益になる。
こと仕事において、コレは致命的です。人の時間を無駄にすることは許されません。社外の人でも、社内も人でも。
その躊躇にあまり意味はない
でも聞けない。聞くというのはとてつもない心理障壁があるようです。
でもそれ、大抵は根拠の無いただの心の壁です。ギュッとまとめると「こんなことも知らないのか」と思われることが恥ずかしい、という気持ちに過ぎません。学力に自信がある人にこの傾向が見られます。SSHP参加者も例外ではないです。
一般常識というのは、個人が知っていることを寄せ集めた最大公約数的なものです。でも個々に見れば、一般常識を全て兼ね備えている、なんてことはあり得ない。なぜなら、同時に保持できない属性が世の中には沢山あるからです。性別、年齢、居住地、年収、健康から趣味嗜好に至るまで。言うなれば、それぞれ違う人生なので、僕が知らなくてあなたが知っていることは沢山ある。その逆も当然そうです。
極端な意見に聞こえますか?スタートアップで働くならアクセラレータのことくらいしっておくべきだと?
うーん、だったら今知ったので、いいじゃないですか。僕がたまたま先に知っていたことを、知らなくて、でも知っておくべき人に言えたので、よかったじゃないですか。
知らないことは、ちゃんと知らないと言える人になってほしいものです。知ったかぶりを続けて袋小路に追い込まれるようなツライ状況は避けてもらいたい。素直なバカは強い:インターンシップブログというエントリーでは「バカ」と書いちゃいましたが、ちゃんと聞ける人は最終的に勝ちます。聞けないひとが、最終的にバカを見ることになります。
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